先月飯田橋のギンレイホールで久しぶりにタランティーノの映画を観ました。
「ジャンゴ 繋がれざるもの DJANGO UNCHAINED」です。
西部劇・早撃ち・賞金稼ぎ・・という監督が好きな要素に南部の奴隷市場という重いテーマが加わっていました。
観てから(じつは観ている間から・・)考えていたのは、人の残酷さと嗜虐性についてです。
映画が始まってすぐ、お隣に座られた女性がたいへん繊細に、人が殺されるシーンでビビットに反応するのがわかりました。
その都度息をのんだり、顔をおおってスクリーンを見なかったり。
私もその気配に感化(?)され、いいタイミングで早撃ちが決まったときなどいつもだったら「ははっ」と笑うシーンでも「・・・。」となったのです。
観ている間から考えていたのですが、残酷さと嗜虐性は根本的には誰もが持っている部分だと思うのです。
(もちろんその多寡は人それぞれですが)
実際にそれらを発揮するのはまずいですが、勧善懲悪の娯楽作品をみてすっきりするのは健全なことですよね。
昔(ウエスタン映画がはやった頃とか)は、映画の中でどれだけ人が殺されようとも、観客は主人公になりきってきっちりカタルシスをもって楽しんだんだろうなあと思うのです。
この映画も、監督は”楽しんでもらいたい”という主旨で作っているはず。
(もちろんストーリーを楽しんでもらいたい、ということが第一でしょうが、舞台や状況、設定を考えたら早撃ちのシーンは大きな見所なわけで、殺人も必然となってきますよね。後半には監督本人が端役で登場して、ど派手に爆死しているし。タランティーノ的にはここは絶対笑ってほしいところのはず!)
・・今回は私が勝手にお隣の方に同調してしまったのが悪いのですが、”西部劇を道徳的な視線で観る”というのは大層つまらないものだと感じました。
また、主人公が妻を助けるために沢山の人を殺めることよりも、当時のふつう(多分)の人たちが奴隷に対して行う仕打ちの方がよほど残酷で痛々しく感じられました。
そして、その嗜虐性は他人事ではなく自分にももしかしたらあるものかもしれない・・という気配も怖かった・・。
次回はあまりぐるぐる考えずに観たいものです。
・・そういえばキル・ビルを見損ねたので(でもDVDで見るのはやだ)どこかの名画座で二本立てで上映してくれないかな。
(相当古いはなしですよね・・。叶ったら小確幸だな♪と思いつつ)
画像はLikoの七月のお花でした♪
(せめて後味はよく、と思って。)